2009年9月17日木曜日

利己主義と裏切りが支配する世界に「協力」が生まれる条件は:シミュレーション実験


Brandon Keim

この絶望的な時代に、科学が一筋の希望の光を届けてくれた――自分本位にふるまう者が得をする世界でも、助け合いは生まれ、そして広まるというのだ。

たとえそれがコンピューター・シミュレーションの世界でも、明るいニュースなら何だって大歓迎だ。

「利己主義と裏切りが支配するノイズ[一部の行動にわざと誤解を生じさせる要素]に満ちた世界で、突如として協調行動が発現し、優勢になることを確認した」。スイス連邦工科大学の社会学者、Dirk Helbing氏とWenjian Yu氏は、2月23日(米国時間)に『米国科学アカデミー紀要』に発表した論文でこのように述べている。

Helbing氏は、サッカー場のファンから交通渋滞までを対象に、群集行動の複雑なシミュレーションを専門に研究している。ただし、群集行動をモデリングする他の研究者たちと同じく、Helbing氏が追求しているのはある根源的な難問だ。その難問とは、互いに協調的な行動を取ることが最も大きな利得をもたらす可能性があるが、しかし一方で、利己的な行動が最も安全かつ最も常識的な選択肢であるような場合、いかにして協調行動を発現させられるかという議論で、これを表わしたものとして知られるのが、「囚人のジレンマ」というゲーム理論のモデルだ。

[囚人のジレンマは、「個々にとって最適な選択」が全体として最適な選択とはならない状況の例としてよく挙げられる問題。古典的なモデルでは、2人の共犯者が逮捕され、警察から別々に取り調べを受け、それぞれ同じ選択肢を与えられる――「自白する」(裏切り)か「黙秘する」(協調)かのどちらかだ。もし片方が裏切り、他方が協調した場合、裏切った方は釈放され、協調した方は10年の刑を言い渡される。両方が協調した場合、どちらも6ヵ月の刑となる。両方とも裏切った場合、2人とも5年の刑となる。どちらの容疑者も、相手が行なった選択を知ることができない。一方、「繰り返し囚人のジレンマ」(日本語版記事)モデルでは、選択が何度も繰り返される中で、協調的な戦略を進化させることが可能となる。その大会も行なわれている]

今回Helbing氏が行なったシミュレーションは、重要なのは移動と[成功の]模倣であることを示唆している。各個体が自分と関わりを持つ相手を自由に選ぶことができ[=移動]、彼らの成功を模倣するだけの賢明さを持つ場合、協調行動が発現し、全体に広まっていく。

しかも、この状態の始まりは大規模なものではない。シミュレーションを何度も繰り返す中で、利己主義を捨てたのは20ユニットのうち1つのみであり、その選択は通常うまく行かなかった。「非常に長期間たったあとでは、同じ近隣のグループ内には、たまたま偶然で協調行動を取るだけに過ぎない2〜4ほどの個体が存在している状態になる」とHelbing氏は話す。「これは幸運な偶然といったレベルだ。一方で、ひとたび十分な大きさの[協調者の]集団が出現すると、協調者たちはかなりの成功を収めるようになり、裏切り者は協調者集団の行動を模倣し始める。その結果、協調行動は持続し、広まっていく」

ゲーム理論を研究する人々にとって、囚人のジレンマのシミュレーションは、生物学者にとってのミバエに近い。[モデル生物として利用されるミバエのように]、囚人のジレンマも、基本原則を明らかにし、吟味し、うまくすれば同じ状況を人間に当てはめた場合を推定するのに使える便利なシステムなのだ。

もちろんこれは単なるモデルに過ぎない。そこに少しの移動と模倣の要素を加えたくらいで、人類の様々な問題が魔法のように解決するわけではない。それでも、これらは重要な意味を持つ可能性がある。

人類の文化的進化において、「1つの場所から別の場所へ移動することは、実際のところ、協調行動が発現し、普及する上で重要な前提条件だったのかもしれない」とHelbing氏は述べている。

Video Credit:Dirk Helbing/初めは裏切り者ばかりの世界に協調行動が発現し、広まっていく様子を示すシミュレーション。赤は裏切り者、青は協調者、白は誰もいない場所、緑は繰り返されるシミュレーションの最終回で協調者に転じた裏切り者、黄は裏切り者に転じた協調者。なお、サイトトップの画像はWikimedia Commonsより

参考論文: "The outbreak of cooperation among success-driven individuals under noisy conditions." By Dirk Helbing and Wenjian Yu. Proceedings of the National Academy of Sciences, Vol. 106, No. 8, Feb. 23, 2009.

[日本語版:ガリレオ-高橋朋子/合原弘子]

「利他的行動は戦闘で進化」:コンピューターモデルで分析


戦場で、自己より他者を優先させる――石器時代の人々が交戦時にこの傾向を選択したことが、「利他的行動」の発達を加速させた可能性がある、という研究結果が発表された。

文化的進化と、集団間の競争を再現したコンピューター・モデルに、暴力に満ちた人類の初期時代の研究データを投入したところ、現代人的な行動とされる利他主義が、実際には血なまぐさい起源を持つ可能性が示唆されたというのだ。

「それが集団を戦いの勝利に導く場合には、利他的行動が強く支持される」と、サンタフェ研究所の経済学者で制度理論を研究するSam Bowles氏は話す。同氏が執筆した今回の研究論文は、『Science』誌6月5日号に掲載された。「これは、通常集団内で、利己的な個人が利他的な個人より優勢になる傾向を相殺するものだ」

他者の利益を自己のそれに優先させる人間の能力が、このような野蛮な起源を持つ可能性があるというのは、自然の道理に反しているように思える。しかし、それは利他主義自体も同じだ。遺伝子はそもそも利己的なものであり、自己犠牲の性質は持たないと考えられている

実際、人間以外の動物にみられる利他的行動の例は、そのほとんどすべてが血縁選択という概念によって説明できる。これは、個体が遺伝的に近い血縁者のために犠牲になる[それによって自らの遺伝子を伝える]という考えだ。何の見返りも求めず、赤の他人のために行動する習慣を持つのは人間だけだ。

このような行動は、高度に複雑化した利己主義の例として説明できるかもしれない。つまり、一見利他的に見える行動は、実際には社会の要求を満たす、あるいは人々の寛大さに接して育まれた良心を満たすための行動かもしれない。しかし、たとえそうであっても、何か最初に利他主義を可能にするようなきっかけが必要だ。それが一体どのように誕生したかは謎に包まれている。

利他主義は、動物界で珍しいだけでなく、集団における相互作用を再現したコンピューター・シミュレーションでも劣勢の存在(日本語版記事)だ。シミュレーションでは、利己的な行動が優勢を占めるコミュニティ内部に利他的な個人が出現しても、利己主義のほうが勝つ。協力的な人よりも、自分さえよければいい人のほうが得をするのだ。

利他主義の最初の小さな火花は、生まれても消えていく運命にあるのかもしれない――ただし、その火花を大きく燃え上がらせる別の何かがあれば、おそらく結果は違ってくる。考えられる候補の1つが、小さな集団間の争いが進化に与える影響だ。集団間の争いは、人類の歴史の大半を通じて、われわれの生活の重要な部分を占めてきたと考えられる。

「利己は利他を圧倒するが、時おり、利己的な人間によって構成される集団が、利他的な個人からなる集団との競争において打ち負かされることがありうる」とBowles氏は語る。

そのような説を最初に唱えたのはチャールズ・ダーウィンだ。ダーウィンは『人間の進化と性淘汰(1)』(The Descent of Man、邦訳は文一総合出版刊)において、「紛争時に互いを守るような……勇気があり共感的で信頼できるメンバーが多い集団」が進化において有利であるという説を唱えた。しかし、利他主義は遺伝的なものだとするこのような考えが公式に注目されることは、これまではほとんどなかった。その理由の一部は、石器時代に交戦していた集団間の遺伝的差異は小さいと考えられたからだ。

しかし、Bowles氏が2006年に発表した研究によると、今なお石器時代の生活を送る複数部族の遺伝子を分析したところ、集団間競争が遺伝子変化の原動力となるのに十分なほどの遺伝的多様性が認められたという。また、利他的行動を発現させるうえで、文化的な伝承が遺伝子より重要だとしても、Bowles氏の主張するダイナミクスは依然として成立する可能性がある。

同氏が石器時代の遺跡から見つかった考古学的資料を分析し、さらに現存する部族たちを対象に民俗誌的研究を行なったところ、集団間の戦闘は、狩猟採集社会における死因の約14%を占めることが判明した。このような、大規模な社会制度を持たない数十人の構成員からなる集団は、人類史の大半を通じて、共同体の主流の形式であり続けてきた。

Bowles氏は、「利他的行動を取ることによって個人が自らの子孫を残す機会が減る確率」を推定し、その数値を集団間競争のモデルに投入した。このモデルでは、個人の利他的行動が、集団が戦闘に勝利する可能性を高める役割も果たしていた。その結果、利他的な個人を擁する集団がやがて優勢となり、利他主義がその集団内で支配的となった。

「他の集団に対する殺意や敵意が、人間の集団内部における協力やサポートを支援した可能性がある」と、ロンドン大学の人類学者Ruth Mace氏は、この論文へのコメンタリーの中で書いている(同氏はこの研究には参加していない)。

むろん、Bowles氏の推論は多分に仮定の要素を含むものであり、また、戦いに参加するという選択は一見利他的でリスクを伴うが、他の報酬的要素、たとえば、戦利品にありつけるといったようなことが、リスクを乗り越えさせる力となっている可能性も考えられる。それでもBowles氏の説は、可能性として検討する価値のあるものといえるだろう。

参考論文: “Did Warfare Among Ancestral Hunter-Gatherers Affect the Evolution of Human Social Behaviors?” By Samuel Bowles. Science, Vol. 324 Issue 5932, May 5, 2009.

“Late Pleistocene Demography and the Appearance of Modern Human Behavior.” By Adam Powell, Stephen Shennan, Mark G. Thomas. Science, Vol. 324 Issue 5932, May 5, 2009.

“On Becoming Modern.” By Ruth Mace. Science, Vol. 324 Issue 5932, May 5, 2009.

[日本語版:ガリレオ-高橋朋子/合原弘子]