なぜ、人間は衝動買いをしてしまうのだろうか。
NHKの「ためしてガッテン」で「脳に待った! 衝動買いドキドキ心理学」という特集を監修し、次のような実験を行った。
被験者に「よくあるハサミ」を見せ「このハサミは何円するでしょう」との質問をする。ただし質問に答える前に、200から2000まで、200の数字ごとに刻みをつけたルーレットを回してもらった。
ルーレットが止まった数字を確認した後、先ほどのハサミを見せ、値段を尋ねる。すると面白いことに、本来は何の関連性もないはずのルーレットの数字に被験者は引きずられ、ルーレットで出た数字に近い金額をハサミの値段として答えた。
実験の被験者60人のデータによると、ルーレットの数字が小さい(200〜1000)人と、大きい(1200〜2000)人の間で、ハサミの値段の見積もりに700円以上の差が出た。400の数値が出れば「100円ショップに売ってそう」、反対に、高い数値が出ると「質が高そう」「よく切れそう」として高い値段を答えたのだ。ルーレットとハサミの値段が全く関係ないとわかっていても、その通りに行動できないのだ。
ハサミという、身の回りにある日常品についてもこうなのだから、よく知らない商品を選ぶときは、口コミ、コマーシャル、あるいは「限定品」「希望小売価格から50%割引」という魅力的に思える情報によってコロッと行動が変わってしまう。
人間は不確実な事象について予測をするとき、初めにある値(アンカー)を設定、その後で調整をして予測を行う。しかし、最終的な予測値が最初に設定する値に引きずられてしまい、十分な調整ができないことがある。この場合、ルーレットの値がアンカーで、ハサミの値段についての最終的な予測が、アンカーに引きずられていることになる。こうしたバイアスのかかる結果を「アンカリング効果」という。
2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは元来心理学者だった。
カーネマンは、新古典派経済学が前提としてきた「(合理的)経済人」というテーゼを問い直した。
「経済人」とは、わかりやすく説明すると、将来のことも含めて何から何まで期待値の計算が完全にできる人。たとえば、なにか行動を起こす際も、その結果どうなるか、どれが一番満足を得る行動なのかが判断できる。加えて、一度決めたことは絶対に実行できる。たとえば禁煙、ダイエットも決心したら絶対にできることを前提にしている。
しかし「経済人」というモデルは普通に考えても成立しない。
計算が完璧にでき、ものを買うときには、自分の予算の中でなにをどれだけ買ったら満足が一番いくかが完璧にわかる。将来も常に確率的に予測できる。というような人が現実的にいるのだろうか。
先ほどの例で言えば、本当の「経済人」だったら、禁煙、ダイエットが必要な状況にはそもそも陥らないはずだ。禁煙、ダイエットをしなければならない「経済人」など論理的にもありえないのだ。
感情、気分的なものにも振り回されるし、頭をフルに動かして考えるということはエネルギーがいるので、極力節約しようとするのが人間、というのがカーネマンの前提だ。
消費者がCMに振り回されやすいのも同じこと。「経済人」だったら複数ある中からどの商品を購入すれば一番得かということが、瞬時に判断できる。しかし実際は商品の詳細な情報などはなかなかわからないし、適正価格を知っている人間はごく一部だ。
■人類がアフリカにいた頃の習慣
昨年のリーマン・ショック以来の世界不況の原因の一端もここにあると考えられる。サブプライムローンの証券化商品について、買う側は品質評価、つまりリスクの高低などを自分では判断しえなかった。そこで格付け会社に全幅の信頼を置いていたのだが、その格付けを信頼した多くの人が破産してしまった。
買い手が「ちょっとおかしい」とでも合理的に判断できれば回避できた事態のはず。安易なヒューリスティクスに頼ったことがマイナスに大きく作用した好例といえる。
反対にリスクを恐れて行動できないということも起こりうるだろう。転職を勧めるヘッドハンターが提示した給与、環境、役職・地位などの条件が、明らかに現在の職場よりも良かったとしても、今の仕事を続けるという選択をする人は多い。言葉ではうまく説明できない非合理的な行動を人間はとるのだ。
では、なぜ人間は合理的な「経済人」にはなれないのか、些細な情報や感情に振り回される存在なのか。カーネマン自身が研究の中で言及しているわけではないが、行動経済学の枠組みから辿っていくことができる。
話は原始人類まで遡る。彼らはアフリカのサバンナで何万年にもわたって狩猟採集生活を行ってきた。人類はこの環境に適応した期間が莫大な長さになるのに、ここ数百年の環境があまりにも急激に変わりすぎて、人間の脳や頭が適応しきれない状況ができているようだ。ストレスやその他、精神疾患などの病気も、こんなところに、そもそもの原因があるといわれている。現代人の多くは甘い物や脂っぽい食べ物を嗜好するが、決して現代生活に適しているとはいえない。だからこそ多くの人がダイエットに迫られ、しかも大抵うまくいかない。
しかし、アフリカのサバンナでは「甘く、脂肪を好む」種が生き抜いて代々子孫を残してきた。甘い物、脂っこい食べ物はカロリーも高いのだから、当然といえば当然。そうした嗜好を持たない者は数万年にわたって淘汰されてきた。
些細な情報に左右される衝動買いや限定品買いといった行動も、目の前にあるものをすぐに食べるのが生存競争では必須であり、なおかつ合理的であったことに由来する。そうした思考ないし行動の持ち主が代々子孫を残した。そうでなければ淘汰にさらされる。
些細な情報に振り回されるというのも、考えてみれば原始人類は100〜150人程度の限定した集団で生活していた。その内部の情報を疑う必要もなかったので、情報が入ってくればすぐに行動するのが当時としては合理的であった。そうした反応が現在にいたるまで身についている。そういった集団内の常識に縛られ、合理的な行動を起こすことをためらうのだ。
行動経済学の研究は今、「幸福」を研究するところまで広がっている(上図)。所得が小さいときは、所得という尺度は幸福度に大きく貢献するという。しかし、所得がある程度になると尺度の比重として下がり、人間関係、仕事の満足度、といったものが上位にランクしてくるという。
合理性の追求が幸福の絶対的要素ではない。衝動買いやリスクを取らないという生き方も、幸福の要素になりうる。
以上のような議論をすると、消費者にどうやって衝動買いをさせるのか教えてほしい、というご依頼を企業側からいただく。
小売りや量販店の値札のつけ方を見ても、人間が「経済人」として合理的に行動するのでなく、「感情」で動くことを企業は経験的に知っているようだ。私を招いて論理的に学びなおし、企業の販売戦略に活かしたいのであろう。有り難い申し出ではあるのだが、私は消費者の側に立ち、そんな企業に騙されることのない、より賢い生き方を啓発していきたい。
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明治大学情報コミュニケーション学部教授
友野典男
プレジデント11月17日(火) 10時 0分配信 / 経済 - 経済総合