47News(2011.6.21)
これはどうしたことだろう。中東アラブの春の民主化運動は、中途半端に終わりそうな様相である。
チュニジアのジャスミン革命で始まり、エジプトではムバラク大統領の長期政権を倒し、イエメンではサレハ大統領を事実上の国外亡命に追い込んだものの、その後は民主化の動きはぱっとしない。リビアではカダフィ大佐が巻き返しているし、エジプトだってイエメンだってシリアだって、依然として体制の根幹に変化はない。
アラブの春は、ツイッターやソーシャルネットワーキングの普及に象徴される情報通信革命の勝利だ、などと気の早いメディアははしゃいでいたものだが、どうも様子が違う。少なくとも20年余り前の東中欧諸国で成功した民主化革命のようには進展していない。どうしてだろうと考えていたら、先日のインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(6月17日付)が、なるほどと思わせる仮説を紹介していた。筆者はロイター通信社のグローバル・エディターであるクリスティア・フリーランド氏だ。
アラブの春の追悼記事を間もなく書かねばならなくなる、と氏は言う。
第1の理由は「民主主義が売れなくなったこと」。20年前の中東欧諸国では民主主義は自由と繁栄を約束するものだった。民主化すれば貧困から這い上がって豊かな暮らしができるようになる、と米国と西欧諸国は宣伝し、東欧の人々はそれを信じて政権打倒に立ち上がった。ところが今現在、中国は民主化しないまま経済的繁栄を達成してしまった。これに対して西側諸国は財政・金融危機に陥っている。民主化と繁栄は直接結びつくものではないではないか、と受け止められている。
第2に、情報通信技術の発達は体制打倒をめざす市民の組織化には役立ったが、新しい真に民主的な社会システムの構築を組織化するにはあまり役立ちそうもないことだ。ブルガリアの政治学者、イバン・クラスチョフ氏が唱えている説だそうだ。
情報通信革命は「公共の場」を細分化してしまった。インターネットやソーシャルネットワーキングは市民全体に関わる一つの問題について議論を集約していく作業が苦手である。ネットが求めるのは、自分のもっているバイアス(偏見)を「そうだそうだ、その通りだ」と確認してくれる情報だけである。「独裁者を打ち倒せ」という呼びかけには簡単に応じてくれるが、民主主義に基づいた開かれた社会制度を構築しよう、という呼びかけには反応が鈍い。
フリーランド氏は中東欧革命とアラブの春をめぐる別の状況も紹介しているが、ツイッターやソーシャルネットワーキングはアラブ諸国の真の民主化をサポートするものではなかった、という指摘は面白い、と思った。
だからといってこれまでの情報通信のあり方を変え、社会のシステムを変革していく起爆剤になりうるソーシャルネットワーキングやツイッターの存在意義がなくなるわけではない。
(2011年6月21日 今井 克)