アスキー総合研究所(2011.7.16)
気のおけない友人関係は、150人までが限界だという話がある。
『友達の数は何人? ――ダンバー数とつながりの進化心理学』(ロビン・ダンバー著、藤井留美訳、インターシフト刊。原題は『How Many Friends Does One Person Need?』)によると、この数はFacebookやMySpaceが盛んな現在でも変わらないという。それは、脳の「大脳新皮質」の大きさによって決まってくるのだそうだ。
【遠藤諭の「コンテンツ消費とデジタル」論:FacebookとGoogle+に見る友達関係150人限界説】
FacebookやMySpaceでの友達の数も、だいたいこの平均150人の範囲に収まり、200人以上友達がいるという人はほんの一握りだという。
もちろん、人間にはさまざまな規模の集団があって、たとえば狩猟・採集社会では、30~50人程度の集団が形成される。一方で、部族全体の規模は500~2500人程度にもなるが、その中間に「クラン」(clan=氏族)という集団がある。狩猟場や水源の共有などはクラン単位で行われ、これの統計的な平均は150人になるという。
こうした人のネットワークの規模は、3倍の数で同心円的に大きな集団になるとも論じられている。いちばん内側が3~5人の特に親しい友人で、何かあったらすぐ駆けつけてくれるような関係。それが段階を踏むに従って、5→15→50→150といった人数になる。
●Google+は「うわさ話」、Facebookは「告白」!?
Googleが新しく始めたSNS「Google+」のテスト運用が始まって、あっという間に全世界で2000万人以上が登録、利用している。世界で7億5000万人という会員を擁するFacebookと、このGoogle+との戦いは、いまネットの世界の最大の関心事といっていい。この2つのサービスにはどんな違いがあり、この戦いというのはどんな意味を持つのだろうか?
GoogleもアピールしているFacebookとの違いは、「サークル」という概念があることだ。Facebookには「友達」という1つのつながりの概念しかなく、友達であるか否かは完全にオン/オフで表現される。「友達かもしれない」というあいまいな状態がないため、米国では一時期、「Unfriend」(友達解除)という言葉が話題になった。
それに対して、Google+は、ネット上の友達や知り合いをサークルに振り分けるという発想だ。「Google+ってどう使ったらいいか分からない」という声も聞くが、ただの友達仕分けツールなのだと考えると分かりやすい。ちなみに前回のコラムでは「Google+はクラウド時代のトモダチコレクションなのか?」などと書いた。
友達をそれぞれのサークルに振り分けることで、個々のサークルに向けて発言したり、会話のストリームを眺めたりできるようになる。現実のサークルと混同しそうになるが、まったく異なるのは、他人のGoogle+において、自分がどんな名前のサークルに誰と一緒に扱われているのかは見えないことだ。Google+のサークルは、各人のご都合主義がぶつかり合わない、うまい具合のソーシャルグラフになっている。
一方、Facebookで「~さんからからFacebookの友達リクエストが届いています」とくると、ちょっぴり緊張が走る。「~さんがGoogle+であなたを追加しました」は、そこまでの緊迫感はない。Facebookが改まって「付き合ってください」と告白される感覚であるのに対して、Google+は「うわさ話をされた」というくらいの違いがある。
ところで、Google+には、あらかじめ4つのサークルが用意されている。はじめてアクセスしたときに「おやっ?」と思われた人もいると思う。「友だち」「知人」「フォロー中」「家族・親戚」の文字通り“サークル”が画面に現れる。これは、ちょうど『友達の数は何人?』の著者である進化心理学者のいう、友達、知人、あるいはクランなどの集団があてはまるのだろうか?
●日本のSNSなら、いっそ「カワイイ!」ボタンを
Facebookで驚かされるのは、とにかく利用者に対して「友達」を見つけてつなぐことを、あの手この手で執拗に求めてくることだ。Facebookの画面右側は、さまざまな友達の活動や広告が表示される非常に特徴的な部分だが、ここに「~さんが友達検索ツールを使いました」などとこれ見よがしな情報も表示されたりもする。
人間にとって「人と会う」ということは、人生のトピックの1つといってもよい。Facebookは、そうした心理的なエネルギーによって活性化されているサービスなのだ。そして、「友達リクエスト」を「承認」すれば、また別な「友達リクエスト」が届くようになる。
これは何かの感染かチェーンレターのようなものではないかと思えるほどだが、せっせとみんなでFacebookのためのデータ構築を手伝ってあげているという見方もできるだろう。
仮に友達の数の平均が「150人」だとすると、その150人の完璧なネットワークがFacebookの生命線なのだ。一方、Google+は実名性のあたりなどに少し甘いところがあるが、3倍数で増える5人、15人、50人、150人といったサークルを自在に管理できる。
いずれにしろこの2社には、150人のリアルな人のつながりというものが見えていると思う。それに比べて、日本のソーシャルメディアは「友達だから手をつないでおこうね」といった遊びの感覚でできている傾向が強いのではないかと思う。
もちろん、日本と米国では人のつながりも社会のしくみも異っている。Facebookの根底には「父親が息子のガールフレンドの名前を知っている」とか、「ホームパーティなどを頻繁にやるような文化」があると思う。事実、私の知り合いの米国人は、そうしたライフスタイルがいかにFacebookとマッチしているかを説明してくれた。
それならば日本のSNSは、徹底的に日本の文化に根ざした作りにすればよいではないかとも思う。mixiは、「チェック」とか「イイネ!」とかではなく、「カワイイ!」ボタンを作ればいいではないかと思うのだ。
●「超巨大」から150人の積み重なりへ
しかしここで重要なのは、もう「Facebookやmixiが人々の生活にどこまで便利でマッチしたサービスを提供しているか」という次元の話ではなくなっているのではないかということだ。友達が「なんとなくつながっている」という話と、「リアルのつながり150人」が完成しているというのは、まるで話が違うではないか。
FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグは、「100年ごとにメディアは変化する」と発言したことがある。100年前というのは、電話やラジオが発明され、やがてテレビが登場した、マスメディア4媒体の時代である。これまでのネット上のメディアも、基本的にはこれの延長上にあったというわけなのだ。
いまあなたが読んでいるWebページも、いままで紙に印刷していたものを「オン・ザ・ウェブ」化したものといってよい。いままで、新聞や書店などを通して「デリバリー」されてきたものが、電子的なネットワークを通じてPCやスマートフォンの画面で見られるようになったというくらいの違いしかない。
それが、文字通りSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)から「ソーシャルメディア」と言い換えられたように、150人のネットワークの積み重ねが情報インフラになったということなのだ。発信と受信が同列になることもでき、受信側が「+1」や「いいね!」でその情報の伝達性を上げることもできる。こうした時代が訪れていることについて、Googleも同意したというのがGoogle+なのではないだろうか?
7月20日(現地時間)、Googleは、「Google Labs」を終了すると発表した。Google Labsには、同社の社員が勤務時間の20%を使って自分のプロジェクトをやってよいというルールから生まれたサービスが多い。この発表がGoogle+と直接関係するかどうかは不明だが、「より重要なプロダクトへの集中」がその目的だというのだ。
150人のネットワークは、いままでGoogleが扱ってきたような、Google流に言う「超巨大」(very very large)に比べるとえらく小さく見える。しかし、それは150人ごとの小さな世界に対して「正しい答え」をもたらすというメカニズムなのだともいえる。もちろん、これからも検索の価値はあるだろう。しかし、時代が大きくシフトし始めたのだ。Google+対Facebookの戦い、これからどう展開していくのか? 来年春には、Facebookは株式を公開すると言われている。