2010年1月28日木曜日

相手の要求に応じた利他行動をチンパンジーで解析



ゲノム解読によって、ヒトとチンパンジーとの塩基配列のちがいが、わずか1.2%ほどしかないことがわかっている。そうは言っても、言語や火の利用など、「ヒトにしか」みられない特徴や行動も多くある。「直接自分の利益にならなくても、相手の利益になるように協力する」といった行動(利他行動)が多くみられるのもヒトの特徴といえそうだが、果たしてそうなのか。このほど、東京大学総合文化研究科の山本真也 ポスドク研究員(以下、研究員)らは、チンパンジーが隣室にいる他個体の求めに応じて、道具を手渡す行動をとりうることを明らかにした。

「利他行動のようなヒト社会の基盤となる行動がどのように進化してきたのかに興味があった」。そう話す山本研究員は、京都大学 霊長類研究所における大学院時代に本研究を進めた。京大の霊長類研究所といえば、30年以上にわたってチンパンジーの知性や認知についての研究を続けており、松沢哲郎教授が進めるアイ・プロジェクトなどは世界的に知られるものとなっている。

山本研究員は、利他行動を「即時的には相手の利益にしかならない行動」ととらえている。本研究の前には、チンパンジーが「互いに利他的に振舞うことで、互いに利益を得る関係(互恵的協力関係)」を自発的に成立させるのは難しいことを明らかにしていた。「利他行動はヒト以外の動物にもみられるが、そのメカニズムは、ヒトとヒト以外の動物とでは異なるのではないか」。そう考えた山本研究員は前研究をふまえ、今回は、どのような状況でチンパンジーが利他的に振舞うのか、とりわけ相手からの要求の重要性を検証したいと考えたという。

実験は、隣り合う2つの透明な部屋のそれぞれに、チンパンジーを1個体ずつ入れて行われた。透明な壁には手が通るほどの穴が開いており、腕を差し出せるようになっている。2個体の組み合わせとしては、3組の母子ペアと、3組の大人(非血縁)のメス同士のペアが使われた。行った実験は2パターン。1つ目は、相手が必要としている道具を互いがもっている条件のもの。片方の部屋の外壁に「ストローがないと飲めないジュース入りの容器」を取り付け、室内にはステッキを置いた。もう一方の部屋には、ステッキを使えば取れる距離にジュース入りの容器を置き、室内にはストローを置いた。互いに道具を交換すれば、2個体ともジュースを飲むことができる環境である。「実験の結果、相手に道具を渡す行動が頻繁にみられ、そのうちの74.7%は相手の要求に応じたものだった。道具を渡す行動は母子ペアでは両方向的にみられ、非血縁ペアでは劣位個体から優位個体へ渡すことが多かった」と山本研究員。

2つ目の実験は、片方だけが道具をもち、道具を渡す側は相手から何の見返りも期待できない条件にしたものである。実験1で両方向的に道具を渡した母子ペアを対象に、1週間をかけて24回の実験を繰り返し、渡す側と受け取る側の役割を交代してさらに24試行行った。「何の見返りも得られない日が続くにもかかわらず、平均90.3%の割合で道具を渡す行動が続いてみられた。やはり、その多くは相手の要求に応じたものだった」と山本研究員。

一連の成果について山本研究員は「チンパンジーは、自分への直接の利益や見返りがなくても、相手の要求に応えて手助けすることが明らかとなった」とし、「チンパンジーの同種個体間で手助け行動が起きるメカニズムを、実証的に示した点で先駆的」とコメントする。ヒトの場合は、相手が要求していなくても自発的に手助けをする場合も多いが、場合によっては「単なるおせっかい」になってしまう。山本研究員は「利他行動の進化を考えたとき、チンパンジーでみられた『相手が要求するときだけ応じる手助け』は効率的な戦略といえる。ヒトでみられる自発的な利他行動も、このような利他行動を出発点として進化してきたのではないか」とし、チンパンジー社会における協力関係のあり方や助け合い社会の進化について、より深く解明していきたいとの意欲をみせている。

西村尚子(サイエンスライター)