2010年1月28日木曜日

ツイッターのニセ鳩山首相騒動で考える「ソーシャルメディア」の近未来


「我々のことは放っておいてくれ」と世界の政府に告げた詩人バーロウの「サイバースペース独立宣言」から14年。リアルとネットを区別する考え(あるいはリアル嫌い)は、長くネットユーザーの根底に流れていた「思想」といってもいい。昨年末に起きた鳩山由紀夫首相の「ニセツイッター」騒動をきっかけに、リアル化が進行するソーシャルメディアの近未来を考えてみた。(藤代裕之)

■ニセ鳩山首相を1万人がフォロー
 情報発信が有名人、そして政治家に広がるにつれ、ネットのリアル性が増している。ブログやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、ミニブログのツイッターといったソーシャルメディアの利用が政治家に広がり、首相もツイッターを始めるというニュース記事が出ていたタイミングで、鳩山由紀夫を名乗る偽のアカウント(@nihonwokaeyou)がツイッター上に登場した。
 ツイッターユーザーである民主党の藤末健三参議院議員が官邸に確認したことで偽者であることが明確になり、ニュースサイトなども報じて騒動はすぐに収束したが、1万人以上にフォローされることになった。愉快犯的なもので、大きな問題とはならなかったが、偽者による「本物かどうかという疑問が多く寄せられていますね。こういうのは初めてなので証明するのが難しいですけど、本物です」というつぶやきは、ネットにおける課題を言い表している。

■「本人認証」が広がる可能性も
 ネットでの情報発信が大きく広がった理由の1つに手軽さがある。
 多くのサービスは、メールアドレスを登録する程度の簡単な手続きで利用できる(掲示板ならメールアドレスも必要ない)。氏名や住所の登録を求めるサービスもあるが、そこに登録した情報が「正しい」ものであるか、確認を求められることはほとんどない。それが情報発信のハードルを下げる一方、ニセ鳩山首相のようななりすましや誹謗中傷、爆破予告といったトラブルを生む要因とされてきた。
 それは時に、「実名vs.匿名論争」となり、身分証明の義務化といった規制強化の声となってネット上で論争を巻き起こしてきた。いまだにネットユーザーの「実在証明」は義務付けられていないが、一国の首相の偽者が登場するというリスクが顕在化したことは大きな転換点になるかもしれない。
 「本物」の鳩山首相は認証済みアカウントでツイッターをスタートした。認証済みアカウントとは、ツイッター側が本人確認を行っていることを証明するものだ。米国で、なりすまし被害にあったメジャーリーグ監督から訴訟を起こされたことで、昨年夏から試験的にスタートしている。オバマ米大統領、ホワイトハウス、米航空宇宙局(NASA)などが「認証済み」となっている。
 民主党は、ネット選挙解禁の検討を進めており、今年は参院選が行われる選挙イヤーでもある。なりすまし防止のために、首相以外の政治家のアカウントも認証化が進み、ツイッター以外のブログやSNSでも実在証明の導入が広がる可能性がある。

■リアル化に抵抗がない世代
 リアルとネットがイコールで結ばれる。そのほうがトラブルも少ない――。この一見当たり前のような考えがネットに広がるのだとすれば大きな変化だ。リアル化はネットユーザーの一部から激しい反発を受けてきた。2004年には「はてな」がユーザーの住所登録を義務化する方針を打ち出したが、反発にあって撤回している。
 しかしながら、反体制的、アンダーグラウンドなネットカルチャーを知らない新たな世代の登場や口コミマーケティングの盛り上がりで(ブロガー向けの体験イベントへの参加やサンプル品受け取りのため)、ユーザー側から情報を開示する動きが出ている。日々の書き込みや写真だけでなく、GPS(全地球測位システム)による位置情報までがユーザーのリアルな情報と組み合わされて、サイバースペースへ蓄積されるようになってきた。ネットショッピングで何を買ったか、どこを移動しているかといった、人の情報を残す「ライフログ」と呼ばれる考えは、新たなビジネスチャンスやサービスを生むと、ここ数年注目されている。

■思わぬ悲劇から逃れるすべはあるか
 このようなリアル化によって便利さだけが実現するとは限らない。トラブルや課題も残る。分かりやすいのは、ネットに残した過去の書き込みや写真が後日問題となるケースだ。政治家や芸能人が時々「問題発言」でマスメディアをにぎわせるが、それが一般人にまで及び始めている。「炎上」のように目に見える被害もあるが、就職活動や転職といった際に、ブログやツイッターを検索されて考え方を確認され、本人はそのことに気付かない場合もあるだろう。

 発言が流れて見えなくなるツイッターや仲間や身内しかいないような気分になるSNSでは、つい気軽に情報発信してしまうが、検索される際などには、前後の文脈が切り離されたコンテンツとして一人歩きすることで、思わぬ読まれ方や誤解が生まれ広がっていく。むろん、書いた責任がある、と言われればそれまでだが、過去についてどこまで責任を取ればいいのだろうか。
 人は間違え、失敗する生き物だ。うっかり、思わず、といった発言もある程度は許容されるべきではないか。そうしなければ誰も口を開かなくなってしまう。
 自分はネットで情報発信していないから無関係という人もいるかもしれない。アニメ「東のエデン」には、画像認識とタグ付けを組み合わせた検索サービスが登場する。これはフィクションだが、すでに現実にも「セカイカメラ」のように、リアルな構造物に「エアタグ」と呼ばれる文字や画像情報などを重ねて表示する仕組みは整っている、これが人に広がれば本人が情報発信していなくてもログがウェブに残されていく。検索されない自由や権利という主張も出てきそうだが、法制度や社会の仕組みは周回遅れだ。今後起き得るソーシャルメディアの悲劇の主人公になりたくなければ、そろそろサイバースペースからの「独立」を考えておいたほうがいいのかもしれない。

[2010年1月15日]